怒りの取り扱いアドバイザー・元中学校教師いなっち先生こと稲田尚久です。
昨日は、東証一部上場某企業(本社じゃないですよ)で1日研修をさせていただきました。
僕は保護者対象や子ども対象の講演が多いですが、実は今年は企業関連の研修や講演が増えているんですよ。
ちなみに今回の企業では事前にアンケートをとらせていただき、社内の課題解決につながる内容で研修を構成しました。
こんな感じです。
研修の流れ
1.オリエンテーション
2.自己理解(エゴグラムで自分を知る)
3.他者理解(人との関わりで大切なこととは?)
昼食・休憩
4.アンガーマネジメント(怒りの感情コントロール術)
5.叱り方(自分も相手も大切にする伝え方)
6.まとめ
グループワークや演習をたくさん入れ、合間にシナプソロジー(脳活性化エクササイズ)で気分をリフレッシュしたりしながら、1日楽しく学んでいただくようにしています。
おかげさまで担当者の方から「終わってから、『今まで受けた研修の中で5本の指に入る良い研修だった』と言ってくれる人がいました」と嬉しい報告をいただくことができました。
さすがに、9:00から17:00までみっちり、それもマイクなしで60名程の参加者へ話をしていたので、けっこう体力を使い家に帰ってからはブログを書く気力が起きなくて、毎日楽しみにされているかたには申し訳ございません。
ですが最近、時々ブログを書かない日があることに、すでに気づかれている方もいらっしゃるのでは?
実は、毎日必ずブログを書くことを止めています。
「無理をしない!」って決めました。
固定概念や当たり前な義務感をやめる
ブログを始めた頃は「書きたくて書く」という気持ちが一番にありました。
しかし、5年近く続けていると「書かなくてはいけない」といった義務感の方が強くなっていることに気づいたんです。
ずっとほぼ毎日書いてきたから書く。
習慣化されてきたことは、自分でも素晴らしいことだなあと感じますが、義務感のほうが強くなってくると、大した内容が思いつかなくても書くようになってしまいます。
「あー!まだあの宿題が残ってた~。やらんといけん。」
子どもの頃、寝る前にやっていない宿題を思い出したときのような気持ちになっちゃうんですよ。
嫌々やらされることからは、創造性は生まれにくいです。もちろん、そうじゃない人もいると思いますけどね。
学校の宿題もとりあえずやって出す的な取り組みかたしてたときって、あまり自分の記憶に定着してなかったし、力になってなかったことのほうが多いです。
だからブログは、無理のないペースで書いていきます。
読まれたかたが、毎回必ず1つは役に立つ気づきが得られるようにしたいですから。
じゃあ今回はどんな気づきが得られるのか?
『義務感だけでやることは、できるだけ減らしてみる』
『固定概念や当たり前を見直してみる』
ということですね。
ただこなすだけの宿題に意味があるのか?
僕はこの本を最近読みかけて、改めてそれを強く感じたんです。
著者は、千代田区立麹町中学校長の工藤勇一さん。現役の校長先生です。
「宿題は必要ない」
「クラス担任は廃止」
「定期テストも廃止」
24年間中学校教師をしていた僕からすれば、「えっ!?そんなことできるの?」って半信半疑で本を読み始めています。
でもすごく納得のいく内容でした。僕がブログを書くときに「宿題をこなす」という状態になったことに気づいたことも、この本からの影響もあります。
本の一部を紹介しますね。
1.宿題—ただ「こなす」だけになっていませんか。
全国津々浦々、どの学校でも宿題が出されています。その目的は何かと問われれば、多くの学校関係者や保護者は、「子どもの学力を高めること」「学習習慣を付けること」と答えると思います。
しかし、本当にその目的は達成されているのでしょうか?
よく考えると、中学教師時代に生徒たちの長期休業中の宿題の量に「部活動もやって、よくこんな量をこなすよなあ」と、思ってことを思い出しました。
僕は美術教師でしたが、本当は宿題は出したくなかったのです。
だって、部活動で忙しくてじっくり絵を描く生徒なんて少ないですから。
「あっ!まだ図画の宿題が残ってた!始業式に間に合えばいいからとりあえずこんな絵でもいいだろう」
と、真っ青に塗られた画用紙にコッペパンのような雲が描かれた図画や、おにぎりのような山が描かれた日本昔話のような図画が提出されるのが目に見えてましたし、実際ありましたから(笑)
それなら、描きたい生徒だけにしておきたかったのですが、毎年ある図画コンクールに既定の枚数を出さなければいけないこともあって、宿題を出していました。
学校へ行くのは目的ではなく手段
さらに宿題について、本にはこのように書かれています。
自ら学習に向かう力を付けて、学力を高めていくには、自分が「わからない」問題を「分かる」ようにするプロセスが必要ですが、多くの宿題においては、そのことが欠けています。すでに分かっている生徒にとっては、宿題は無駄な作業で、分からない生徒にとっては重荷になっているように思います。宿題を出すのであれば教師は、「分からないところをやっておいで」と声掛けしなければいけないはずです。
当たり前のように出している宿題も、本当に子どものためになっているのか?
学校に限らず、今行われている「当たり前」を見直すことをときにはしてみる必要があると強く感じました。
さらに本で印象的だったのが、固定概念にとらわれない工藤校長の考え方です。
プロの囲碁棋士を目指して「学校を休んで練習にいきたい」と悩んでいた男子生徒へ言った言葉。
学校は『来ること』が目的じゃない。大人になること、社会に出ることの方がもっと大事だよ。君が囲碁の世界で生きていきたいと本気で思うなら、別に学校に来なくたって構わない。後悔だけはしないようにね。
このように伝えたそうです。工藤校長は
学校という存在自体も「手段」の一つにすぎず、「目的」ではありません
と書いています。これは僕も教師時代から思っていたことで、すごく共感しました。
工藤校長は民間校長ではありません。公立中学校教員から教育委員会に入り、現在に至っています。
教育のこと、子育てのこと、自分のこと・・・、少し読んだだけでいろいろと考えさせてくれる良いきっかけとなりました。
あなたも『固定概念』や『当たり前』をもう一度見直して、本当に大切なことに力を注いでいきませんか?
アンガーマネジメント、コミュニケーション、子育て
子どもから大人まで、岡山発どこへでも
研修や講演のご相談はお気軽にどうぞ!
数人の子育て座談会から企業研修まで対応
企業での社員カウンセリングも対応
この記事へのコメントはありません。