怒りの取り扱いアドバイザー・元中学校教師いなっち先生こと稲田尚久です。
社会に通用する人間を育てるのではなく、学校に通用する人間を育てているのでは?
先生は子どもを学校へ合わせる指導に必死
前回のブログ子どもの嘘を見抜くより大切!社会へ出て通用する子どもとは?で、
「これぐらいのことができないと社会では通用しません」
これって、本当にそうなのかということについて書きましたよね。
東京都の麹町中学校の校長、工藤勇一先生。
以前に学校の当たり前をやめる!宿題をこなすだけに意味があるのか?に工藤校長のことを書きましたので、まだご覧になっていないかたはどうぞ。
この先生が『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社)で書かれていたことを読んで、学校現場で先生たちが「こんなことでは社会で通用しない」と言うことって、ますます違うんじゃないかなとかんじるようになりました。
本に書かれている内容にすごく共感することが多くあるんです。
教師を辞めて3年目。ますます学校現場における違和感に気づくようになりました。
そのことについては、妻も同じことを言います。
「子どもを学校という集団に合わせることばかりに先生たちは必死になりすぎている気がする。」
それは僕も同感ですし、かつて現場にいたときの僕は教師としてそれが当たり前だと思って、学校に合わせるための指導に力を注いでいました。
決まりを守らせることに必死だったり、「この決まりって何のためになる?必要ないんじゃないの?」と思っていても、組織にいると疑問より組織の和を大切にしようとしてしまっていました。
今思えば、かなりマヒしていた部分もあるなあと感じます。
だから工藤校長の書かれていることは新鮮でもありますが、自分が疑問に思っていたことを実際に行動へ移されたことが素晴らしいと思うんですね。
意味もない宿題をさせて働き方改革は実現しない
テレビ東京系列の『カンブリア宮殿』という番組に出て話されたことも印象的でした。
既にわかっている漢字を30回書くことに意味はない。
時間の無駄。
とりあえず、書かなきゃいけないから、いかに効率よく書くかを考えて、横棒だけを先に全て書いたりしましたよね(笑)
今、世の中で「働き方改革」と言われているが、「働く時間を短くして成果を上げろ」と。
小学校から大学まで宿題を出されて、自分に必要ないことをやらされて、それをこなすことが仕事だと教えられる。
理不尽だと思っていても、やらされ続けてきた子どもに
大人になってから「働き方改革」ができるわけがない。
「理不尽にも耐えなさい」「社会とは厳しいもの」といった指導ばかりで、自分の意見を主張するとか反論することより、協調性や集団に合わせることを重視してきたように思います。
もちろん協調性も大切ですよ。ただ、社会の歯車の一部になることが美徳な日本社会だったのではないかと思うんですよね。
僕が教師時代にやっていたことは、学校へ合わせて、学校という集団の場で生活するための指導の方が多かったですね。
5年経てば、半世紀くらいの変化になっている激しい時代の変化だからこそ、本当に大切なことと必要のないことを整理してみることが、今必要なんじゃないかと思います。
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