叱る必要 がないのに叱っていませんか?
岡山発、思春期の子育てにアンガーマネジメントとコミュニケーションの研修・講演の講師、元中学校教師いなっち先生こと稲田尚久です。
数年前のことですが、京都にいる長男の仕事ぶりを見せてもらいに行ったとき移動で市バスを利用したんです。
そのときに「なんだかなあ」と思った出来事を紹介します。
叱る必要 がないのに子どもを叱る親
さて、バスに乗っていると、小学生か幼稚園くらいの姉妹連れの親子4人が僕たちの前に座りました。
お父さんとお母さんで2人、姉妹で2人、左右に別れて座ってます。
姉妹は仲良くて、二人で楽しそうにしゃべったり、たまにゴソゴソとじゃれ合ってました。
僕は「微笑ましい光景だなあ、こんな頃が懐かしいなあ~」と思って見ていたんですよね。そんな状況の中、外の風景を眺めていると急に叱る声が聞こえました。
「いい加減にやめなさい!」大きな声ではありませんが、ビシッと叱るお母さんの声。
「そんなことするなら、二人で帰らせるよ!」さらに、お父さんからからも。
すぐに子どもたちは、気まずそうな表情で大人しくなって座ってました。この家族のやり取りを見ていて、すごく疑問を感じちゃったんです。
「えー!?何がいけんのー?」って。あっ、「いけん」というのは、岡山弁で「ダメ」という意味ですね(笑)
僕には、さっぱりわかりませんでした。翌日、妻へそのことを伝えると「私も見ていて、何がいけないのか全然わからんかったよ。むしろ、幼い姉妹がおりこうに座っているなあって思っていたし」と、やっぱり妻も同じことを思っていたんですね。
車内で大声出して騒いでいたわけでもなく、動き回っていたわけでもない。でもお父さんとお母さんから見ていて「ダメ!」という何かがあったんでしょう。
妻は「“いっさい動くな!” “いっさいしゃべるな!”ってことかしらね。ハードル高いわね。」と言いました。
誰にも迷惑かけてないし、子どもだったらゴソゴソするし、それが子どもらしさなのに、なんだか残念な気持ちになりました。
こういったやり取りは、きっと日常生活で大なり小なりあるんだと思います。
こうやって子どもは、親の過度な基準に合わせながら、無理をして良い子になるか、逆に言うことを聞かなくなるのでしょうね。
子どもを許す愛が心の基地となる
子どもが幼いうちは親の言うとおりに従っていることが、親から見てもいい子どもかもしれません。 叱る必要 がない状態の方が親としては安心かもしれません。
でも、親から見たいい子という枠組みに入れられて育てられることほど、危険なことはありませんよ。
そういう子どもに限って、すごく意地悪になったり、裏表の顔を持つようになったりする可能性が高くなります。子どもはもっと自由で伸び伸びさせてやればいいのになあ。
妻が以前こんなことを言ったことがあります。
「長男が小さいころ、子育てがすごく大変でいろんな本を読みあさったんだけど、どの本も共通して言えたのは【子どもの心の基地になりなさい、いろんなことを許しなさい、許す愛が大切】ってことだったのよ。これが私の子育ての基本になったのよ。」
公園へ連れて行くと、ただ一人素っ裸になって遊ぶ長男。
妻は恥ずかしい思いをしながらも、長男のやることを受け入れて【許す】ことをやってくれていたんですね。
それが今では、以前のブログ子供の将来を心配するな!自立は乳幼児期のスキンシップが土台で書いたように、自立した大人へと成長していったんだろうと、今更ながら思います。
子どもへ叱るという行為、それは本当に必要なときにとっておくことであって、挨拶するように毎日使うものじゃありませんから。
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