怒りの取り扱いアドバイザー・元中学校教師いなっち先生こと稲田尚久です。
子どもの存在自体を認めていますか?
先日のブログほめるも叱るも目的は同じかも?親の自己愛を満たすための手段でも書きましたが、『感謝』と『喜び』を子どもへ伝えることならば、何気ない子どもの行動に対してほめる言葉は見つからなくても、サラッと「ありがとう」「助かる」「うれしい」と言った言葉がでてきますよね。
こういったことが、子どもを『認める』ということになります。
子どもの存在を認める声のかけ方
教師時代のことですが、職員室に出勤してきた同僚の女性の先生が髪をスッキリ切られていたので、こんな会話をしたことがあります。
僕「先生、髪をスッキリ切られたんですねー!」
同僚「まあー!稲田先生良く気づかれましたね!うちの夫は何も言ってくれなかったのに」
こんな感じですごく喜ばれました。
(この先生は僕のブログを今でも読まれているようですので、会話での言葉が若干違ってたらごめんなさい)
こういった会話を家でも僕は良くしますが、意外と言わない人も多いんですよね。
でも実は、「髪切ったんだね」とか「その服は新しいね」といった声かけは、相手の存在を認めているということにもなるんです。
子どもが家に帰って来て、汗かきながら「のど乾いたあー!」って言ったら、「そうかそうか、暑かったなあ」って声かけるだけで充分子どもの存在を認めているし、子どもの気持ちに共感までできています。
「そんなこといいから、学校からのお便りは今日はないの?」
「早く手を洗ってきなさい!」
「ちょっと、カバンくらい片づけてよ!」
こういった、親の都合で声をかけてしまってませんか?
子どもだって帰って来たばかりで、ホッと一息つきたいのにガミガミ言われればイラッとします。
「わかってるって!うるせーな-!」
こんな捨てゼリフを言いたくもなりますよ。
無条件に存在価値を認めて変化に気づけるようにする
人というのは自分の『存在価値』を感じることが、生きる原動力だと思います。
それは、「人より優れている」とか「成果が出た」・・・といった、「なにかできた」という条件をクリアしたから認められることではありませんよ。
「あなたのことを見ているよ」「あなたがいてくれて幸せ」といった、「存在」を無条件に認められることです。
大人も無条件に認めてもらいたいですよね。あなたは、自分の子どもを無条件に認めていますか?
無条件に子どもの存在価値を認めて、ちょっとした変化に気をつけて見ていれば、学校から帰ってきた子どもがカバンを自分の部屋まで持って行ったときに、認める声かけもできますよ。
「わあ!今日はカバンを部屋まで持って行ってくれたんだ!嬉しいなあ!」
って、喜びを伝えられますよね。
こういった小さな変化を見逃さないことも大切。ついついこういった小さな変化は『出来て当たり前』って思いがち。
「やればできるじゃん。簡単でしょ?これくらいのこといつもやってよ!」
といった、批判的な声のかけかたはやめましょうね。
アンガーマネジメント、コミュニケーション、子育て
子どもから大人まで、岡山発どこへでも
研修や講演のご相談はお気軽にどうぞ!
数人の子育て座談会から企業研修まで対応
企業での社員カウンセリングも対応