怒りの取り扱いアドバイザー・元中学校教師いなっち先生こと稲田尚久です。
先日、一人暮らしをしている専門学校生の娘が自宅へ帰ってきていきました。
娘は不動産ビジネスを学んでいるのですが、勉強が苦手だった娘にとって理解できているのかという疑問を、僕も妻も感じていたんです。
そんな娘を駅に送っていくとき、次のような会話をしました。
テストの点数が半分でも満足できますか?
妻「最近は勉強のほうはどうなの?」
娘「FP(ファイナンシャルプランナー)の授業の試験で、満点中半分の点だった」
妻「へえ~!半分も取れるんだ!」
娘「自分の生活に関わることじゃけ、けっこうおもしろい」
さて読者の皆さんは、この会話に違和感を感じた人もいらっしゃるのではないですか?
「満点中半分の点だった」という部分。
『半分しかとれていないのに、なんで満足できるの!?』って思いませんでしたか?
実は娘を駅へ送り届けて、妻とこんな会話をしたんです。
僕「FPの勉強をあの娘が半分理解できとるとは、すげーことじゃなあ」
妻「ほんとほんと。正直、半分どころか2~3割程度じゃないかと思っていたわよ」
僕「俺も同じ。ハードルを下げて子どもを見ていれば、半分でもすごく嬉しいで。世間の親たちの中には、子どもへ求めるハードルを高くしすぎて、俺たちのような気持ちになれない人もおるよなあ」
妻「高校生の時に古典でひどい点数とったことを思えば、上出来ね!」
子どもに求める価値は存在そのもの
親が子どもへ望む理想や願望のハードルを下げて減らしておくことが大切だと、子育て講演会でも必ず伝えていることです。
親が多くのことを望まなければ、子どもは伸び伸びと学校生活を楽しんでくれます。
健康で元気に学校へ通ってくれていることが、親として一番の願望。それだけで充分じゃないでしょうか?
それなのに、満足できず「もっと頑張りなさい!」「そんなことじゃ高校いけないよ!」と、子どものためと思っているあなた。ヤバいですよ!
子どもをコントロールできると勘違いしていますね。親といえど、子どもをコントロールすることはできません。
『子どものため』と思って言っていることの多くは、結局のところ親自身が自分を満足させたり安心したいだけのものなんです。
一度子どもへ言っている言葉を見つめ直してみてください。
それが、本当に子どものためになっているのか?自分を満足させるためなのか?
勉強ができるとか、スポーツができるということが、人としての価値を左右することではありません!
じゃあ価値あることは何か?
子どもが存在していること、子どもの存在そのものなんです!
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