怒りの取り扱いアドバイザー・元中学校教師いなっち先生こと稲田尚久です。
京都にいる長男の仕事ぶりを見せてもらいに行ったときに、移動で市バスを利用したんです。
ちなみに京都で市バスを利用するなら、【一日券】がお得!
1枚600円で、均一運賃区間内であれば1日何回でも乗車できて、均一運賃区間内で3回以上乗ればお得ですよ。
叱る必要がないのに子どもを叱る親
さて、バスに乗っていると、小学生か幼稚園くらいの姉妹連れの親子4人が僕たちの前に座りました。
お父さんとお母さんで2人、姉妹で2人、左右に別れて座ってます。
姉妹は仲良くて、二人で楽しそうにしゃべったり、たまにゴソゴソとじゃれ合ってました。
僕は、微笑ましい光景だなあ、こんな頃が懐かしいなあと思ってたんですよね。
外の風景を眺めていると、急に叱る声が聞こえました。
「いい加減にやめなさい!」
大きな声ではありませんが、ビシッと叱るお母さんの声。
「そんなことするなら、二人で帰らせるよ!」
さらに、お父さんからからも。
子どもたちは、気まずそうな表情で大人しく座ってました。
この家族のやり取りを見ていて、すごく疑問を感じちゃったんです。
「えー!?何がいけんのー?」
あっ、「いけん」というのは、岡山弁で「ダメ」という意味ですね(笑)
僕には、さっぱりわかりませんでした。翌日、妻へそのことを伝えると
「私も見ていて、何がいけないのか全然わからんかったよ。むしろ、幼い姉妹がおりこうに座っているなあって思っていたし」
やっぱり妻も同じことを思っていたんですね。
車内で大声出して騒いでいたわけでもなく、動き回っていたわけでもない。でもお父さんとお母さんから見ていて「ダメ!」という何かがあったんでしょう。
妻は「いっさい動くな、いっさいしゃべるな、ってことかしらね。ハードル高いわね。」と言いました。
誰にも迷惑かけてないし、子どもだったらゴソゴソするし、それが子どもらしさなのに、なんだか残念な気持ちになりました。
こういったやり取りは、きっと日常生活で大なり小なりあるんだと思います。
こうやって子どもは、親の過度な基準に合わせながら、無理をして良い子になるか、逆に言うことを聞かなくなるのでしょうね。
子どもを許す愛が心の基地となる
子どもが幼いうちは、親の言うとおりに従っていることが、親から見てもいい子どもかもしれません。
でも、親から見たいい子という枠組みに入れられて育てられることほど、危険なことはありませんよ。
そういう子どもに限って、すごく意地悪になったり、裏表の顔を持つようになったりする可能性が高くなります。
子どもはもっと自由で伸び伸びさせてやればいいのになあ。
妻が以前こんなことを言ったことがあります。
「長男が小さいころ、子育てがすごく大変でいろんな本を読みあさったんだけど、どの本も共通して言えたのは【子どもの心の基地になりなさい、いろんなことを許しなさい、許す愛が大切】ってことだったのよ。これが私の子育ての基本になったのよ。」
公園へ連れて行くと、ただ一人素っ裸になって遊ぶ長男。
妻は恥ずかしい思いをしながらも、長男のやることを受け入れて【許す】ことをやってくれていたんですね。
それが今では、前回のブログ子供の将来を心配するな!自立は乳幼児期のスキンシップが土台で書いたように、自立した大人へと成長していったんだろうと、今更ながら思います。
子どもへ叱るという行為、それは本当に必要なときにとっておくことであって、挨拶するように毎日使うものじゃありませんから。
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